はじめに
この記事は予備試験・司法試験に直接役立つものではありません。そのため、勉強の息抜きとして読んでいただけると嬉しいです。私は現在弁護士YouTuberとして一定のポジションを築き上げていますが、そんな私にも苦しかった受験生時代がありました。今回はそんな私の受験生時代を振り返ってみようと思います。
1 ロースクール入学まで
私は、偏差値40ほどの大学の法学部に入学し、この時期に勉強をしないと今後勉強をすることはないだろうと感じて入学後は法律の勉強を頑張りました。1年生の終わりには成績優秀者に選ばれ、来季以降全額免除を受けられることがわかったので、浮いた学費分を用いて予備校の基礎講座を購入しました。下宿ではなく通いだったので、特にお金の心配をすることはなく、勉強中心の生活を送りつつ、趣味のゲームやスポーツをすることができていました。大学では、周りにロースクール入学を目指して勉強をする人があまりいませんでしたので、基本的には一人で勉強を進めていました。
大学3年生のときに腕試しとして同志社大学と立命館大学のロースクールの既修者コースを受験しました。いずれも合格し、立命館大学に至っては学費の半額免除の通知をいただきました。大学4年生のときには京都大学・大阪大学・神戸大学のロースクールの既修者コースを受験し、いずれも合格しました。ロースクール受験前に、京大ローの説明会に参加したことがあり、その際に何故か懐かしい感覚を持ったので、その頃から京大ローに進学しようと考えていました。そのため、京大ローに進学することにしました。
2 ロースクール入学~休学まで
京大ローに入学し、素晴らしい講義が受けられると信じていたのですが、残念ながら期待は裏切られました。膨大な予習量に圧倒され、次第に勉強しなくなっていきました。浮いた時間は当時の彼女と過ごす時間にあてました。そうした結果、京大ローでは進級をするための成績要件が存在するところ、その成績要件を満たさなかったため、進級できないという事態に至りました。つまり、再度同じ学年をやり直さなければならなくなったのです。
私は、日本学生支援機構から奨学金を借りることで学費や生活費を賄っていましたが、進級ができないとなると奨学金がストップします。そのため、学費や生活費を賄えなくなりました。この頃には法律の勉強が嫌になっていたこともあり、一旦休学をして実家に帰り、学費等を稼ぐことにしました。
3 休学~復学
実家に戻ってからはアルバイトを探しました。ちょうど、行政書士試験の講師の仕事があったので、それに応募し、4月頃から仕事を開始しました。京大ローに復学するかどうかはずっと迷っていました。9月頃には母と一緒に総菜屋をはじめましたが、見事に失敗しました。余談ではありますが、このときに在庫リスクを抱える商売のキツさに気づきました。総菜屋の失敗により、貯金したお金の一部がなくなりました。
休学の翌年1月頃だったと思います。電車一本で京大ローに行ける立地で2万円台(ただし心理的瑕疵物件)の物件を発見しました。これは最後のチャンスかもしれないと思い、バイトしながら復学することを決め、薄給の母に仕送りをお願いしました。なんとか復学の条件が整いました。
4 復学後~進級
復学後は学費の捻出が最大の課題でした。京大ローに通いながら隙間時間を利用してできるバイトを探しました。事務職に応募したところ、運よく交通事故の意見書を作成する仕事を紹介してもらえたので、その仕事に就きました。月に5万円~10万円程度稼ぎながら、京大ローの講義をしっかり受講しました。京大ローの同級生から講義のノートをもらったので、予習については楽にこなすことができました。もう失敗することはできないし、飲み会等の交際費にあてるお金もなかったので、クラスの人たちとはできる限り関わらないようにしていました。
食事については自炊で賄っていました。業務スーパーの2kg入りの鶏むね肉には随分とお世話になりました。食費を削りすぎるとジリ貧になることはわかっていたので、安いときを狙って肉や野菜を買ってバランスの良い食事を心掛けていました。時には50円の総菜コロッケに心惹かれることもありましたが、かなり悩んだ上でなんとか誘惑を跳ねのけたのは懐かしい思い出です。
前期が終わり、後期の学費を支払わなくてはなりませんでしたが、どうしても10万円ほど不足することが判明しました。そこで、私は祖母に頼み込み、学費の援助をしてもらいました。この時期、母や祖母には本当に助けられたと思っています。なんとか学費の問題をクリアできたので、安心して後期もバイトと勉強を継続しました。その結果、前期試験・後期試験ともに問題なくパスできました。そして、無事進級を果たすことができました。
5 ロー最終学年~司法試験合格
進級をしたことで、日本学生支援機構からの奨学金が復活しました。月に20万円ほど借りていたので、金銭的にはだいぶ余裕が生まれました。そこで、京大ローの講義と司法試験の勉強に専念するため、バイトを辞め、春頃から短答式試験の対策をはじめました。この頃にはクラスの人たちとも多少のやり取りがありました。全てではないですが、懇親会にも参加するようにしました。
秋頃からは論文式試験の対策をはじめました。ロースクールの講義をこなしながら、空いた時間に司法試験の対策を進めました。ローの修了後は実家に戻り、実家で司法試験の勉強をしました。そして、司法試験に一発合格を果たしました。
実は、その後もバラ色の人生というわけにはいきませんでした。司法修習は貸与制だったので、最終的な借金は1100万円ほどとなり、重荷を背負っての社会人デビューとなりました。また、もともと研究者志望だったので弁護士登録はせず、まずは司法試験講師として活動をはじました。そのあたりの話はまた他の機会にしますね。